好きなものを好きなだけ

母は、私が幼い頃キャラクターがついたものを持たせるのを嫌った。下着や肌着を含む洋服、靴、鞄、ステーショナリーに至るまで、なるべくシンプルでおしゃれなものを持たせたがった。

 

今と違って無印良品なんていう天国はなく、インターネットショッピングなんていう便利な文明が生まれるのも先の話。少しばかり値がはろうが母が「よい」と思ったものは私に買い与えられた。確かに、たまに実家にあるアルバムを見返すと私はいつでも、割といい格好をしている。大人になると、子供に可愛い格好をさせたかった母の気持ちも、分かる。

 

幼い頃の私は、キューティーハニーが好きだった。あまり親にものをねだれる性格ではなかったのでほしいとは滅多に口に出さなかったが、どうしてもどうしても、キューティーハニーの靴がほしかった。たった一度だけ買ってもらえたあのマジックテープで止める、キューティーハニーのイラストが入った赤い運動靴を、多分私は一生忘れない。「妥協してもハンカチ」という母が、唯一買ってくれたキャラクターの靴だった。

そういえばハンカチはなぜかキャラクターものをよく買ってくれた。折りたたんでしまえばそこまで目立たないだろうし、それでお茶を濁していたんだと思う。同居していた祖父の部屋にあったモノクロコピー機でハンカチを印刷して、よく塗り絵を作って遊んでいた。

 

そんな日々が長いこと続き、すっかり私は「キャラクターものはダサい」と思い込むようになっていた。キャラクターはダサい、女子高生に流行りのキーホルダーもダサい、なんならディズニーもダサい。シンプルなのが一番可愛い。デザインが洗練されている柄物もいい。とにかくキャラクターはダサいんだ。そう思っていた。

 

その呪いが解けたのはバイトを始めた大学時代だったと思う。自分のお金で好きなものを買えるようになって初めて、自分がいいなと思うものを、自由に買うことができた。

生まれて初めて足を踏み入れたサンリオショップは、本当は来ちゃいけないのにこっそり忍び込んでしまったお城のように思えた。なけなしのバイト代から、マイメロディのお弁当箱を買った。たったの500円だったのに、とんでもない買い物をした気持ちになった。やっと「キャラクター、別にダサくない!」と、自分の呪いを自分で解いてあげられた。

 

マイメロディドキンちゃんONE PIECEのチョッパー、妖怪ウォッチのジバニャン、ムーミンディズニープリンセス、興味はわりとコロコロと移り変わったが、可愛いと思ったものは自分のお金で買った。買えた。自分で手に入れられるようになったのだ。職場のデスク周りが雑多になったけれど、よく同僚からおみやげでもらえるご当地キーホルダーが嬉しい。

 

やわらかな呪いは、どこにでもある。今でも知らず知らずに引きずり続けている大きな枷が自分のどこかにあるような気がしている。それをひとつひとつ解いては大人になっていくのかもしれない。

好きなものを好きなだけ、人生の許す範囲で「好きだ」と思って生きていきたい。