凍え

生まれも育ちも雪国で、誕生日が冬だからということもあってか、冬の季節が好きだ。

 

でも生まれて初めて12月のトーキョーシティに行った時は、雪のない冬に感激した。3月の沖縄で半袖を着て外に出た時は、一周回って気持ちが落ち着かなかった。

それくらい冬に雪があるのは当たり前で、クリスマス前に雪が積もらないと心配になる。1月に神さまが「いっけね、分量間違えちゃた」ってくらい1日に信じられないくらいの量の雪を降らせても、慌てることはない。だって雪国の1月なのだから。バスもJRも遅れたり止まったりするが、それだって想像の範疇だ。だってここは雪国だから、試される大地なのだから。

 

それくらい冬にも雪にも寛容な私だが、あれだけは分からない。あの、板を足にくくりつけて山の上まで連れ去られ、自力で下山しろという拷問。そんな拷問が小学校教育から実践されている。信じられない。

 

要するにスキーが嫌いだ。とてもとても嫌いだ。

幼稚園の頃はよかった、雪だるまを作ったりプラスチックのソリでちょっとした傾斜を滑る、ライトなウインタースポーツで許されていた。

それなのに小学校に上がるとどうだ、やけにでかくて重い靴で足首の自由を固定されて、自分の背ほどの板を括り付けられて、あれですいすいと動けるわけがなくないですか?

しかもスキー場というのは、天候が変わりやすい。そしてスキー好きの人間たちはちょっとやそっとの吹雪では撤退しない。意味がわからない。雪国に暮らしたことのないひとには想像していただきたい。雪が、水が寒さによって凝固したものが、凍てつく風に乗って顔に叩きつけられる、その「攻撃魔法を受けてる感」を。その中を高速で移動したら痛さ倍増じゃない? みんな気が狂ってない? Mなの?

自慢じゃないが私は運動神経がすこぶる良くない。大器晩成型だと思い続けたままハタチを超えた。希望が年々薄れていっている。ただの雪道もそこそこ気合いを入れて歩かねば命を取られるというのに、何が楽しくて雪の山を滑り降りるというのですか。しかもそれを小学校教育から導入しなくて良くないですか? 

 

スキーの良さだけはずっと理解ができない。あったかい部屋で全力でジェスチャーゲームしてるだけで、体育の成績つけてほしかったなあ。多分上手にできるよ、ゴリラとか。

 

好きなものを好きなだけ

母は、私が幼い頃キャラクターがついたものを持たせるのを嫌った。下着や肌着を含む洋服、靴、鞄、ステーショナリーに至るまで、なるべくシンプルでおしゃれなものを持たせたがった。

 

今と違って無印良品なんていう天国はなく、インターネットショッピングなんていう便利な文明が生まれるのも先の話。少しばかり値がはろうが母が「よい」と思ったものは私に買い与えられた。確かに、たまに実家にあるアルバムを見返すと私はいつでも、割といい格好をしている。大人になると、子供に可愛い格好をさせたかった母の気持ちも、分かる。

 

幼い頃の私は、キューティーハニーが好きだった。あまり親にものをねだれる性格ではなかったのでほしいとは滅多に口に出さなかったが、どうしてもどうしても、キューティーハニーの靴がほしかった。たった一度だけ買ってもらえたあのマジックテープで止める、キューティーハニーのイラストが入った赤い運動靴を、多分私は一生忘れない。「妥協してもハンカチ」という母が、唯一買ってくれたキャラクターの靴だった。

そういえばハンカチはなぜかキャラクターものをよく買ってくれた。折りたたんでしまえばそこまで目立たないだろうし、それでお茶を濁していたんだと思う。同居していた祖父の部屋にあったモノクロコピー機でハンカチを印刷して、よく塗り絵を作って遊んでいた。

 

そんな日々が長いこと続き、すっかり私は「キャラクターものはダサい」と思い込むようになっていた。キャラクターはダサい、女子高生に流行りのキーホルダーもダサい、なんならディズニーもダサい。シンプルなのが一番可愛い。デザインが洗練されている柄物もいい。とにかくキャラクターはダサいんだ。そう思っていた。

 

その呪いが解けたのはバイトを始めた大学時代だったと思う。自分のお金で好きなものを買えるようになって初めて、自分がいいなと思うものを、自由に買うことができた。

生まれて初めて足を踏み入れたサンリオショップは、本当は来ちゃいけないのにこっそり忍び込んでしまったお城のように思えた。なけなしのバイト代から、マイメロディのお弁当箱を買った。たったの500円だったのに、とんでもない買い物をした気持ちになった。やっと「キャラクター、別にダサくない!」と、自分の呪いを自分で解いてあげられた。

 

マイメロディドキンちゃんONE PIECEのチョッパー、妖怪ウォッチのジバニャン、ムーミンディズニープリンセス、興味はわりとコロコロと移り変わったが、可愛いと思ったものは自分のお金で買った。買えた。自分で手に入れられるようになったのだ。職場のデスク周りが雑多になったけれど、よく同僚からおみやげでもらえるご当地キーホルダーが嬉しい。

 

やわらかな呪いは、どこにでもある。今でも知らず知らずに引きずり続けている大きな枷が自分のどこかにあるような気がしている。それをひとつひとつ解いては大人になっていくのかもしれない。

好きなものを好きなだけ、人生の許す範囲で「好きだ」と思って生きていきたい。